おどおどした顔でこっち見んな

おどおどした顔でこっち見んな。
そんな言葉を投げかけて君は去っていった。けれどそれは果たして拒絶の言葉だったか。
わからない。
僕がわかるのは、社交辞令だけ。
 

 
 
何度もくりかえし君は言う。
おどおどした顔でこっち見んな。
僕はうなずいて、君に迫る。
おどおどした顔で
君を見る。

 
 
水槽の中
明後日にむかってウーパールーパーが挨拶する。
おどおどした顔でこっち見んな。
君はウーパールーパーにも声をかける。
ウーパールーパーは明後日の方向を向いているというのに。

 
 
 
おどおどした顔でこっち見んな。
おどおどした顔でこっち見んな。
 
 
 
昼下がりの月曜日
君は行き過ぎるお巡りさんを挑発する。
さすがにそれはやり過ぎだろうという僕の制止をものともせず、挑発する。
お巡りさんがUターンして向かってくる。
職務質問を受けるさびしい君の後ろ姿を見たくなくて
離れたところの草陰で様子を伺う僕。

 

 
おいしそうに夕餅が焼けた頃
チワワが道端で途方に暮れている。
おどおどした顔でこっち見んな。
また聞こえたあの台詞。
案の定――君はチワワに脛を噛まれる。
逆鱗。
血走る目。
たばしる唾液。
小さく並んだ牙を鳴らし
鬼の形相で
チワワは君に吠えかかる。
そして、執拗に追う。
いってなかったかもしれないが
うちのチワワは気性が荒い。

 
 
ご注文はお決まりですか。
ウェイターがやってきて注文を伺う。
それに対して君はやはりいつもの調子でこう答える。
お、おどおどした顔でこっち・・・・・・見ん、な。
ウェイターの女性が好みのタイプだったから緊張したんだね。
お決まりになりましたらそちらのブザーを押してお呼びください。
戸惑いを隠した笑みを顔に浮かべ、彼女は行ってしまった。
しばらくメニューを見つめたあと君はブザーを押した。
君が選択した戦略は失策だったと言わざるをえない。
おどおどした顔で、こっち、見ませんか。
キメ顔で指差す先には「キスチョコ」。
訪れる沈黙。凍る空気。
嗚呼、家でも独りの一人客。
君の意図に彼女が気付いたかどうかを、僕はいまだ知らないでいる。