尻ポケットに迷言を
【私のトイレットペーパー】
尻を枕にしたいと思うことがある。
それは、旅先で自分が一人ぼっちだと言うことに気が付いた夜にである。
たしかに枕と違って女の尻を叩くにはいくらか金が要るし、互いの尻を投げ合うこともできない。だが、尻には言いようのない、枕の心地よさがあるのである。
少年時代、私は司教になりたいと思っていた。しかし、聖書を読み、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」の一文に辿り着いたとき、何を言っているんだ、と思った。頬を打たれるのはごめんだが尻を打ってくれるなら喜んで差し出すというのに。そこで変態は神の国には入れないと知ったのである。
その代わり私は、詩の世界に入った。そして、言葉で人のケツを蹴りあげるべきだと考えた。思念体にとって、言葉はムエタイ選手の足になることもできるからである。私は言葉をローキックのように繰り出して、人の足元をふわりと刈り上げるくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は枕でなければならない。疲れきった頭を休ませる枕に。IKSTARの『低反発まくら』ぐらいの効果はもとより、どんなに疲れた夜でも、その一言によって眠りに落ちてしまえるような言葉。
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時には、言葉は戯言にすぎない。だが、ときには言葉は子守唄になることもあるだろう。それらの間に挟まれた言葉こそが、「迷言」ということになるのである。
学生だった私にとっての、最初の「迷言」は、枡谷伏字の
花を摘むのも良いではないか
屁をこくだけが人生だ
という詩であった。
私はこの詩を口ずさむことで、自分自身のクライシス・モメントを幾度乗り越えたか知れない。「屁をこくだけが人生だ」という言葉は、いわば私の処世訓である。私の思想は、今や屁こき主義とでも言ったもので、それはさまざまの因習との葛藤、人間を画一化してしまう権力悪を小便切って収めるときに、現状維持を唱えるいくつかの理念に、習慣とその信仰に、屁をこくことによってのみ、成り立っているようなところさえ、ある。
「人の綿枕におならをこき貯めるという犯罪を許してはならない」とオズワルト・シュペンペングラーは甥っ子への批判をぶちまけている。たしかに、行き過ぎた悪戯はときには犯罪とも言えよう。
だが、お尻に係る諧謔もまた至言なのである。本質は言葉の品性とは関係ない。それは決して、下劣な言葉を大切にせよということではなく、むしろその逆である。下劣な言葉は、言葉の祝福から遠ざかってはゆくが、不逞の言葉の羅列には、革命家さながらの現実を変革する可能性がはらまれている。
私は、そこに賭けるために詩的思念体になったのである。言葉はいつでも、一つの臀部である。ウォシュレットを使わない者たちにとっても、言葉で洗い清められるところだけは、どうか清潔にしておけないものだろうか?
本当にいま必要なのは、迷言などではない。
むしろ、契約書類の一枚、学術論文の要約である。だが、私はノート代わりに使っていた古いトイレットペーパーをひっぱり出して、私の「迷言」を掘り起こし、ここに発表することにした。まさに、ブタヒトの『卑賤論』をなぞれば、「名言のない時代は不幸だが、迷言を必要としない時代は、もっと不幸だ」からである。
そして、今こそ
そんな時代なのである。
***
ぼくのお尻は二つに割れている。
親も二つに割れているからたぶん遺伝だ。でも弟だけ割れていないのが不思議だった。尋ねると、母さんが教えてくれた。
「アワビはね、生まれる前にお尻の割れ目を世界の端っこに落っことしちゃったの。だから見て、あれがアワビの割れ目」
――ハマグリ・コサージュ『暮れなずむ』
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会社で働いているとふとしたときに考えることがある。
「お尻が割れていることに感謝できる人間が世の中にどれだけいるのか?」
まず日本にはあまりいないにちがいない。そもそも人前で下半身の話題を持ち出すこと自体この国ではマナー違反とされている。「お尻は割れてて当たり前」な環境で暮らしてきた日本人にはそのありがたみを実感することが難しいのかもしれない。
――荒谷ナハ『フンバル』
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学生時代アルバイト先の社員の中に、息子のお尻が大好きだという人がいた。その方の家では代々父親が子供のお尻をなめるのが習慣なのだそうだ。
「やっわらかくて、もっちもちしてておいしいのよ〜」
翌日僕はアルバイトをやめることにした。
――伊豆川喜田『尻餅』
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もしお尻が割れていなかったら日常にどんな変化が出てくるだろう?
困るのが椅子にバランスよく座れなくなること。
私たちのお尻は二つに分かれていることで安定して腰を下ろせる。それがなければ椅子とお尻は中心で点接触することになり、お尻の主はバランスを保ちづらい姿勢を余儀なくされる。
さらにアヌスが直に椅子に当たるので痔になりやすくなる。人間のアヌスは非常にデリケートな器官でちょっとした刺激がきっかけで爆発することもある。だから扱いは慎重にしなければならないのだ。
たしかに私たちはお尻に支えられて生きている。
――パリジェンヌ男爵『チャンスの穴』
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「よぉ、マサ。達者かい?」
久しぶりに暖簾の間から顔を覗かせたピヨピヨ(42)は、大将のマサにとってかけがえのない常連客だった。少なくともリーマンショックの前までは。
「最近冷えるねえ。いつものケツワレ頼むよ」おしぼりで手を拭きながらピヨピヨが言う。
「ケツワレ一丁ぉいッ」「「ケツワレ一丁おぉ〜〜いッ!」」
マサの威勢のよい声のあとにバックコーラス担当のシーシェパード姉妹が美しいハモリを響かせる。彼女たちはカウンター向こうの小さな円形ステージに咲く二輪の花だった。
『鮨処 政』。鮨屋にコーラスという斬新な組み合わせで人気を博し、年商5千万億兆円という寿司史始まって以来の革命的な売上を達成したのが2年前。それから蝉の寿命にも満たない短い全盛期が過ぎ去ると今度はみるみるうちに借金がかさんでいった。原因はマサが会社の銀行口座番号を世界平和ポトフ慈善協会の寄付用口座のものと取り違えてしまったためである。公開記者会見での一言「申し訳ありまほーい」がその年の流行語大賞となったのは言うまでもない。
「はい、ケツワレ一丁!」
ピヨピヨの前に美しい『作品』が差し出される。なめらかな丘陵。くっきりした谷間。油の乗ったケツワレは食格の口へと運ばれるのを今か今かと待ち構えている。しかしピヨピヨはそれを頬張る前に話さなければならないことがあった。
「あのよ、マサ。悪いけど一万円貸してくんねーか? 俺オケラなんだわ」
マサは寿司を握るマシーンになる。
「おい、聞いてるか? マサよ、金貸してくれよ。来週には返すから。な? 頼む」
マサは物言わぬ石となる。
「無視すんなよ。後生の頼みだ。ぜったい来週には返すから。な?」
マサは死んだふりをしている。
するとピヨピヨの左手が獲物を捕まえるフクロウの如き迅速さでもって動いた。否、その手はまさしくフクロウそのもの。ピヨピヨは『オウルハンド』の能力者である。狙いはもちろんマサの尻ポケットに突っ込まれたワニ革の長サイフ。しかしその動きよりなおすばやく柳刃包丁が一閃した。
「キャアアアアアアアアアアァァァァァーーーーーー!」
ピヨピヨの悲鳴が夜の新宿にこだました。
「お、俺の・・・・・・俺の髪がぁあああああぁぁぁ・・・・・・うぁあ・・・・・・」
彼女の前髪は生え際から3mmのところでバッサリと横に切られてしまっていた。それは見事なおかっぱ頭であった。
「代金はいらねえからとっとと帰ってくんな」マサが言う。
ピヨピヨはマサの迫力に押され、小さく舌打ちしてから店を出ていった。カウンターにはケツワレを失った皿だけが残されていた。
――北原ハクシュン『男勝り』
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人生とはお尻の比喩である。断じてその逆ではない。
――山本宇曽太郎
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わたくしといふ言笑は
過程された勇気交流伝統の
ひとつの青い証明です
――ミヤザ・ワケンジー『春と臀』
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もし明日死ぬとしても私は今日うんこするだろう。
――マルチ・ショーホー