文学のせいで生き方を間違えたあなたに『初心者のための文学』大塚 英志

初心者のための「文学」

評価:★★★★

この本は、文学に人生を蝕まれないようにするための保護具です。 

 

目次 

 

三行感想文

  • 作品を通じて発信される著者の主張を鵜呑みにしないよう気を付ける。
  • 文学が生まれた背景についての解説がわかりやすく、面白い。
  • やっぱ「ワクワクしたい」って欲求をいかに満たすかが人生の要諦だよなあ。

 

感想的雑記

本を読んでいるときって、その本の世界観における正しさに対して、読者としての僕は同調しやすくなってる気がする。一方で、自分の考える正しさを肯定してくれるような本に出逢うと、ついつい感情が浮ついてスキができるんだな。それにつけこんで他の怪しい主義主張までろくに検証せずに取り入れちゃったりすることがある。よくよく騙されないよう本は読まねばなるまい。「おい作者! 読者ナメてんじゃねえぞ、ア〜ン?!」っつーぐらいトンガったやつらの時代がまた来たら、きっと戦争みたいにワクワクできるんだろうな。「戦争ごっこ」は楽しい。

太宰や三島も退屈を持て余して死んだ

文字通り退屈は人を殺すのだ。女を囲っても酒に溺れても文学を創ってもそのうち必ず退屈はやって来る。そんなとき普通の人はぼーっとしてやり過ごせるんだがそれができないってやつもいる。

あいつは退屈することを恐怖していた。その不安に耐えかねて身を投げやがった。根性無しめ。甘ったれのはなったれめ。天才ってのは、なまじ退屈からの逃げ足が速いばかりに、退屈に捕まえられ慣れてない。だから、あとが大変なのかね。大人になってから罹る麻疹みたいなもんか。

 

ワクワク感と戦争の関係

ワクワクしながら生きていきたい。
それが叶わないから刺激を求める。
(それもだめなら、何も、いらない。)

 

結果的に戦争みたいな大きなイベントで盛り上がりたくなるのが人間なんだね。
(人が集まると碌なことにはならないと僕が考えるのはこういうことも理由の一つかも。)


生きる目的が見つからなくたって肉体は代謝していくけれど、心が先に死ぬのだろう。
自殺だって本人にとって「幸福の選択」には違いない。ただ、それでも別のルートがなかったものだろうかと思ってしまうのは、持ち前のもったいない精神からか。

人生は何物にも値しない。
だが人生に値する何物も存しない。
――アンドレ・マルロオ「征服者」

 

退屈は最強の敵

ひょっとしたら退屈は人類史上最強の敵やも知れん。
これに打ち勝つにはどうしたらいいんだろう?
そこがまさに知りたいのに。結局、答えは人それぞれってのが堪えるな〜。

 

演習問題

問1:人生において退屈のない日は存在しないことを証明せよ。
問2:{{私}, {社会}}の補集合を示せ。
問3:幸福の一般解を求めよ。

 

本の内容

文学に隠れてる「ひきこもり」「萌え」「禁忌」といった要素をオッカムの髭剃のような何かで解説する、学童保育では教えてくれない文学の読み方。正しく文学と出会い、正しく文学を読むための11の授業。

  • 三島や太宰が「こんな楽しい戦いはオラ初めてだ!! わくわくするぞっ!!」という気持ちで戦争を描こうとしたのは何故なのか?
  • 『箱男』は、“ひきこもり小説”であり、『伽椰子のために』は“萌え小説”である
  • やはり、大江(健三郎)は読んでおいたほうがいい

筆者独自の視点から戦後の代表的な文学が描き損ねたほんたうのしんぢつを説く十一の青空教室。村上春樹『海辺のフカフカ』の新しい読み方を案内する書き下ろしを未収録。「文学」を正しく読むための取扱注意書。

 

著者略歴(Wikiより)

生い立ちというのは物でも者でも何にでもあるもので、そこらへんを見知り、聞き知り、語り知ることによって、物語をより深く繊細に味わうことができると思うのです。ただ噛んで飲み込むだけではもったいない。舌を使おう。

 

大塚 英志(おおつか えいじ、1958年8月28日 - )は、日本の批評家、民俗学者、小説家、漫画原作者、編集者である。妻は漫画家、作家の白倉由美。 

 

東京都田無市(現西東京市)生まれ。父が満州からの引揚者だったため、工業排水が混じったドブ川沿いにあり、台風のたびに床下浸水する劣悪な環境の引揚げ住宅で大学入学まで暮らしていた。父は元日本共産党員であったが路線対立で離党した。中学生の時に漫画同人集団「作画グループ」に入会したのがきっかけで、高校1年生より漫画家のみなもと太郎のアシスタントを始める。その後、みなもとの紹介で高校2年生の時にギャグ漫画家としてデビュー。学研の学習誌や『漫画ギャンブル王国』(海潮社)にギャグ漫画を発表するが、大学受験を機に自分の才能に見切りを付けて1年で漫画家を引退。
1981年3月筑波大学第一学群人文学類卒業。大学では千葉徳爾の指導の下で、日本民俗学を研究した(千葉は柳田國男の直系の弟子であったため、大塚は柳田の孫弟子になる)。当初は研究者を目指したが、教官の宮田登に口頭試問で「君の発想はジャーナリスティックすぎて学問には向かない」と引導を渡されて大学院への進学を断念。
卒業後、漫画家の沢田ユキオと雑誌『リュウ』、『プチアップルパイ』(徳間書店)の編集長をアルバイトの身分のまま務める。アルバイト編集者として石森章太郎の担当を1ヶ月ほど務め、この時に漫画のネームの見方について石森から徹底的に指導された。
アルバイトの編集者から正社員の編集者となり、その後、フリーランスの編集者として漫画雑誌『漫画ブリッコ』(セルフ出版発行)の編集長を務めた。この雑誌は現在のコアマガジン発行の漫画雑誌の源流にあたる。ここで「大塚某」という記者名で寄稿した多くの発言が、後の評論家としての大塚の基礎を作った。編集者としては、岡崎京子、白倉由美、藤原カムイ、あぽ(かがみあきら)などの漫画家、映画イラストライターの三留まゆみ等をこの雑誌で発掘したことが業績とされている。また、1985年に創刊された『月刊少年キャプテン』(徳間書店発行、1997年2月号にて休刊)では、『強殖装甲ガイバー』の初代編集者を務めた。同時に、漫画原作者としての仕事も多く、代表作としては『多重人格探偵サイコ』『黒鷺死体宅配便』『リヴァイアサン』『木島日記』『アンラッキーヤングメン』など。自作のノベライズや、映像化や舞台化の脚本も行っている。一方で、大学でのキャリアを断念した民俗学においても執筆活動を行い、『少女民俗学』『物語消費論』『人身御供論』などを上梓。サブカルチャーに詳しい評論家として、論壇で一定の地位を得る。
1988年から1989年にかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件には衝撃を受け、即時に『漫画ブリッコ』での連載コラムで、「おたく」という言葉を発明した中森明夫との対談集『Mの世代―ぼくらとミヤザキ君』を上梓。サブカルチャーが事件を誘発したかのように決めつける風潮に異議を唱え、「(犯人の)彼が部屋に蓄えた6000本のビデオテープをもって、彼が裁かれるのであれば僕は彼を弁護する」「彼の持っていた6000本のビデオテープの中で、実際には100本ほど(約1%)しかなかったホラー作品や性的ビデオに事件の原因を求めるには無理がある」と発言。実際に1990年から1997年に行われた一審では犯人の特別弁護人を務めた(二審以降は弁護団からは距離を取りつつも、一般傍聴人として裁判所に通い続け、2006年1月17日の最高裁での死刑判決時も、傍聴席で判決を直接聞いている)。
評論対象は多岐にわたり、『サブカルチャー文学論』『更新期の文学』『怪談前後』のような文芸評論、『彼女たちの連合赤軍』のようなフェミニズム論、『戦後民主主義のリハビリテーション』のような戦後民主主義論、『少女たちの「かわいい」天皇』『「おたく」の精神史』などの戦後日本論、『戦後まんがの表現空間』『アトムの命題』などの漫画論、『「捨て子」たちの民俗学』『公民の民俗学』『偽史としての民俗学』などの民俗学論、『物語の体操』『ストーリーメーカー』などの創作論、など多彩かつ旺盛な執筆活動を続けている。

 

 

初心者のための「文学」

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